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創作においては リアル よりも リアリティ が大事です

『ちひろさん』から学ぶ 〜 創作における リアル と リアリティ 〜

先日、Netflixの『ちひろさん』を見て、これはキャラクターのリアリティの参考になると思ったので、創作のリアリティについて語ってみたいと思います。

先に、念のため説明しておくと『ちひろさん』っていうのは、2023年2月23日からNetflixで世界配信され、全国で劇場公開もされている映画です。
原作は安田弘之さんのマンガ。有村架純さんが元風俗嬢で今はお弁当屋さんのお姉さんという役を演じ、少し話題になってました。CMも流れてましたよね。

で、キャラクターのリアリティについてどう参考になるのかというと、ちひろさんみたいな人って現実にはいないんですよね。

だって公園で猫と一緒に四つん這いで歩いたりブランコを地面と水平くらいまで全力でこいだりしてんの実際にいたらヤバい人でしょ。一人きりでさ。
気さくでコミュ力すごくて、子どもからホームレスまで仲良くなっちゃう人なんて、まぁいませんよね。
そういう意味では全然リアリティがないんですよ。

でもこの作品の世界の中では、まったく違和感がありません。
それどころか、この映画を観ていると、だんだん現実のどこかにいそうだなと思ってしまっています。
こんな人いるわけないって分かっていたはずなのに。

──という、それこそがリアリティなんですよね。
リアリティにとって、現実にいるかいないかはまったく関係がないんです。

創作におけるリアリティはリアルとは違います。
つい実際にいる人を登場させたり、実際にあった事件を使ってしまいがちなので、気をつけた方が良いと思います。

リアル は、割と頻繁に リアリティ を超える

「事実は小説より奇なり」と言いますが、実際、人間の想像を超えるできごとが起きることがあります。
それも割とよく起こります。

例えば大谷翔平さんなんてちょっと想像の域を超えてますよね。
大谷さんが現れる以前に二刀流のプロ野球選手の物語を書いたら、きっとリアリティがないと言われたことでしょう。
投手とバッター両方で世界トップレベルなんて、そんなの無理だって。

プロ棋士の藤井聡太くんが鮮烈なデビューを果たしたときも衝撃的でした。
若干14歳にしてプロ棋士たちをいとも簡単に倒す(ように見えていた)姿は、日本中を驚かせました。
14歳の中学生がプロを相手に連勝を重ねる将棋の物語を
藤井聡太くんが現れる前に書いたとしたら、果たしてどんな反応があったでしょうか。

リアル は リアリティ を脅かし、 脚本家 に脅威をもたらす

人だけじゃありません。さまざまなできごとも、僕たちの想像を超えてきます。

例えば2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件。
あの少し後、脚本の先生が言ってました。

「まさかニューヨークのビルに飛行機が突っ込むなんて思わんよな。
あんなん脚本に書いたらリアリティないって笑われるで」

脚本家の仕事って、想像力を働かせて物語を作る仕事です。
その想像力を超えるような事件が実際に発生してしまったら、
脚本家としては脅威を感じずにはいられません。

あるいは2011年3月11日の東日本大震災。
あの津波の写真や映像を見たときの衝撃!!

そして福島第一原発の事故。
まさか原発があんなことになるなんて。

日本は世界一の技術大国だから、原発事故など起こるはずがないと思っていました。
しかし事実は想像を超えてきました。

記憶に新しいところでは、コロナ禍なんて誰が想像したでしょうか。
海外では町が丸ごと封鎖され、日本でも渋谷のスクランブル交差点から人がいなくなった。
あの映像は現実のものとは思えませんでした。

創作に リアル は使えない

リアルはリアリティを軽く超えてくることがあります。
それも結構な頻度で発生します。

でもだからといって、リアリティを超えて良いというわけではありません。

「あんなん脚本に書いたらリアリティないって笑われるで」

物語にとってリアリティは生命線です。
この作品はリアリティがない。
そう思われた時点で負けてしまいます。

だから基本的に創造にリアルは使えないと思ったほうが良いです。
実際にそういう人がいるからといって物語に登場させてはいけません。
実際にそういう事件があったからといって創作に使ってはいけません。
リアルがリアリティを超えることがあるからといって、リアリティを超えてはいけません。

むしろリアルを捨ててリアリティを取るのが創作においては正解だと思います。

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